忍足 亜希子
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とにかく泣かされてしまった。忍足亜希子の一挙手一投足に。
その結果、賞をプレゼントしたいと審査員全員が思ったというのが正直な理由だ。感情を伝えるのは言葉でもなく表情そのものなのだ。そう確信したのは、彼女が画面に現れた瞬間からだった。幸せな笑みと無垢さも残るその表情は、子育てもなんとかなると信じて疑わないようにも見えた。まさに一点の曇りもない聖母のような女性。これぞ理想の母親像かと思ったが、そうではなかったことに好感を持てた。彼女は、我が子の泣き声や危険に気づけないので、両親が手伝っているのだ。きっと今までも周囲が手を差し伸べてくれたから、我が子にも自然と身の回りのことをお願い出来てしまう。そんな何処か頼りない母親を、品のある天真爛漫な女性として忍足は表現した。まさにひとりの女性が、子育てを通して母親になっていく様を映画に焼き付けていったのだ。
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』という作品は、コーダ少年の心の成長を描いているだけではない。母と息子の成長物語であり、親子だから甘えてしまう関係や、ろう者と聴者の世界で生きるコーダの思いを汲めない母親の無邪気さにも目を向けている。ここは呉美保監督と忍足の経験からの表現かもしれないが、完璧な母親なんていないということを理解した上での明子という母親像に恐れ入った。
クライマックスで、大がホームで明子の後ろ姿を見つめながら、自分に向けられたその時々の母親の表情を思い出し、無償の愛に気づいて涙を流すシーンがある。ここは本作でいちばんの輝きを見せるシークエンスといえるが、忍足のすべての表情が愛に溢れているのだ。喫茶店での成長した息子と恋人のようにジョークを交わす茶目っ気ある表情や、車内で手話で語らってくれた息子に感謝する表情は幸せに満ちていた。我が子を案ずる表情や叱る表情、そして我が子を見つめシャッターを切る瞳には愛おしさが映し出されていた。どのカットにも全身に愛情を纏う母親として立つ忍足亜希子は等身大の母親の姿で、ただただリアルだった。このすべての演技に自分の母親を投影し、泣かされてしまった。
(伊藤 さとり)