入江 悠
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あまりにも辛いラストに、これが完全なるフィクションだったらどんなに良かったのだろうと思わされる。しかし、これは実在した女性の物語であり、現実世界に起きている出来事なのだ。入江悠監督・脚本によって描かれた『あんのこと』は、実話を基にした重厚なストーリーとキャスト陣の熱演によって多くの観客に衝撃を与えた。
本作の基となっているのは、ある少女の人生をつづった2020年6月の新聞記事。これを読んだ入江監督は「自分が作品にしなくては」と激しい使命感を感じ、一方で「自分が描いて良いのか」と葛藤しながらも作り上げたという渾身の一本。幼少期から母親に虐待を受け、売春をしながら一家の暮らしを支え、覚醒剤に溺れる21歳の杏(あん)を河合優実が演じている。
冒頭のボロボロの姿に心が痛むが、杏は破天荒な刑事・多々羅との出会いをきっかけに更生の道を歩み始める。それまで光が宿っていなかった様に見える杏の瞳が、人々との触れ合いや様々な経験から明るく輝き始める。『あんのこと』は壮絶な人間ドラマであるが、映画を観終わって強く残るのは「杏が一生懸命生きていた」ということなのだ。
私は杏の人生について、もう少し何かが違っていればとも思い、幸せになって欲しいと心から願うのだが、哀れだと思うことは無い。映画の中で杏が頑張って生きていたこと、そこに杏が存在していた重みは尊ぶべきものなのだから。入江監督が、杏を尊敬を持って描いているからこそ私はそう感じることが出来たのだ。
入江監督は『SR サイタマノラッパー』や『AI崩壊』とジャンルは全く異なれど、どの作品でも変わらず“生きた人間”を描き続けている。自分の考えにキャラクターを当て込んでしまうというエゴが無い、真っ直ぐな眼差しを持っている方なのだと、尊敬してやまない。
(中村 梢)